I'll Be Your Beach / ナツキとユリ (Doki Doki Literature Club)

 

 


DDLCの考察で、ナツキやモニカの言葉や特別な詩、イベントから得られる情報と、実際にナツキが置かれている状況に整合性がない=ナツキは実際はそこまで酷い環境にない(モニカが誇張しているのではないか?)と書いてる人のブログを見たのですが、確かにナツキの置かれている環境についての断片的な情報だけだと、矛盾しているように見えるものもいくつかあると思う

・お菓子づくりが好きで上手

・いろんな種類の調理器具を持っている

・漫画「パフェガールズ」を全巻持ってる

・漫画は家には置いておけない

・家に男の子なんて呼んだら、パパにどうされるかわからない

・パパが夕飯を作るときは、できるだけたくさん食べなければいけない

 

これだけなら多少過保護で子煩悩な父親に愛されている娘のようですけど

 

・漫画が見つかろうものならパパにボコボコに殴られる

・お昼代を貰えず、食べ物を家に置かないのでいつもお腹を空かせている

・栄養失調で低身長

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・あの子は無視されることに慣れてますから

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・特別な詩「パパが好き」

 

 

 

 


確かに矛盾している、というか不可解な点はあるにはあるけど ナツキは嘘をついているのか?  あるいは、誇張をしているのか?と言われたらNOだと思う。

個人的には「パパがご飯を作ってくれる時はできるだけたくさん食べなきゃいけない」という言葉から、「食事」を完全にコントロールする類の虐…なんじゃないかと思いますけどどうなんですかね

 

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画像は関係ないんですけど、外で買ったものや自分が見ていないところで何か食べるのを禁止するためにお金を渡さず、家に食べ物も置かない、自分が作った食事はとにかくたくさん食べないと許さない。

父親が食事にものすごく拘ってるとしたら、料理関係の仕事に就いてるのかもしれないし、ナツキのお菓子作りの腕前や、調理器具の件はそれで説明がつくか?

ナツキにとって文芸部は恐らく唯一の安らげる居場所だから、貯めたお小遣いをみんなにふるまうお菓子の材料代に充てていてもおかしくない。あまりにも悲しいけど

 

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そもそもナツキの父親は一貫性の無い行動をしていて、それがアルコール中毒説の由来でもあるけど、ナツキへの接し方も完全に過干渉とネグレクトの両方なので、解決策が無い

 

主人公がナツキの涙を見るときの台詞

 


1.

「ただ… 毎日…

 つらくて。」

 


2.

「それでもここに  こだわるのは… 

ほんの短い間だったけど、ここが…  

楽しかったから」

 

 

 

ナツキの性格からして、他人に涙を見せるくらいなら死んだ方がマシだと考えるタイプだと思うので、この涙に嘘や演技が混じってるとは考えにくいし、

逆に言えば、ナツキの本音には涙が伴うのかもしれないと思う、彼女は強がって、いつも本心を隠して、素直になれずに、逆のことばかり言っている。彼女が本音を漏らす時は、取り繕う余裕もないほど辛かったり、悲しかったりした時だけなのかも

怯えや恐怖から、みんなにひどい態度をとってしまっていることを、自覚していて、文芸部でも少し浮いていることや無視されつつあることを察していると思う。彼女にとって一番辛いことは、自分の存在を無視されることだから、自分のお菓子を美味しそうに食べてくれて、尊重してくれるサヨリとの関係は良好に見える。

3回目の涙は血の涙。

泣いてしまうほど毎日つらいことも、文芸部という場所やみんなを大切に思っていることも、すべて本当だと思う。

 

 

 

ナツキとユリの話

ホラー要素のあるギャルゲーという認識でプレイし始めたら、恐ろしいほどホラゲとしてもギャルゲーとしても手が込んでいて、最高のゲームすぎると感動していて、

まさか百合がくるとも思っていないし、期待してもいないところをとつぜん輝度5億の百合で殴られて、完全に目が潰れてしまいました。急に百合が来たので…

 

 

部長のモニカと副部長のサヨリ

この2人は、表面上誰とでも仲良くなることができるし、誰とでもうまくやることができる。

でもナツキは違う。そしてユリも。2人は正反対、そう考えれば、ナツキが、文芸部での無価値化や無視を恐れた時、最も脅威になるのはユリだと思う、

ユリがみんなに認められて、尊重されてしまえば、必然的に自分は蔑ろにされる。

2人は正反対だから、そして、2人とも、誰とでも仲良くなれるわけではないから。爪弾きにされてきたから。

ナツキとユリが敵対しているのは自然なことで、ナツキが、ユリに「かわいいですね」と言われて、言外の意味を汲み取って腹をたてるのも、ごく自然なことだと思う

2人はお互いを理解できず、嫌い合ってる。

話が進むと見えてくるのが、正反対のようで2人は似ているんじゃないかということで、

2人とも現実逃避をして、他者の目を極度に恐れている。

 

 

2人が「砂浜」という同じテーマを決めて書いた詩、お互いの作風が混ざりあっていてすごい。

ほんとは一言一句 ここが〜と考察して原文と日本語訳のニュアンスの違いとかも書きたいんですけど時間と気力が足りない、とりあえずkissじゃなくて press your lips to mine.で良かった

 

 

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I'll Be Your Beach / Natsuki


Your mind is so full of troubles and fears

That diminished your wonder over the years

But today I have a special place

A beach for us to go.

A shore reaching beyond your sight

A sea that sparkles with brilliant light

The walls in your mind will melt away

Before the sunny glow.

I'll be the beach that washes your worries away

I'll be the beach that you daydream about each day

I'll be the beach that makes your heart leap

In a way you thought had left you long ago.

Let's bury your heavy thoughts in a pile of sand

Bathe in sunbeams and hold my hand

Wash your insecurities in the salty sea

And let me see you shine.

Let's leave your memories in a footprint trail

Set you free in my windy sail

And remember the reasons you're wonderful

I'll be the beach that washes your worries away

I'll be the beach that you daydream about each day

I'll be the beach that makes your heart leap

In a way you thought had left you long ago.

But if you let me by your side

Your own beach, your own escape

You'll learn to love yourself again.

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あなたの砂浜になる

 

あなたの心は不安と恐れに満ち満ちて

この数年で魅力も褪せてしまった

でも今日はとっておきの場所にいこう

わたしとあなたの砂浜へ。

 

見渡すかぎりいちめんの岸

艶やかな光をはなつ海

そんなまばゆさの前なら

あなたの心の壁も崩れてしまうよ。

 

わたしは悩みを洗い流す砂浜になる

あなたがいつも訪れる白昼夢の砂浜になる

こんなときめきをずっと忘れてたんだって

あなたの心が弾むような砂浜になるよ。

 

重苦しい気分は砂の山に埋めてしまおう

陽ざしを浴びて手をつなごう

とまどいをしょっぱい海で洗ったら

キラキラ光るあなたを見せて。

 

思い出は足あとの道に残していこう

帆に風をつかんで自由になろう

あなたとわたしの唇を重ねたら

あなたが素敵なわけを思い出して。

 

わたしは悩みを洗い流す砂浜になる

あなたがいつも訪れる白昼夢の砂浜になる

こんなときめきをずっと忘れてたんだって

あなたの心が弾むような砂浜になるよ。

 

わたしを隣にいさせてくれれば、あなたは

自分だけの砂浜、自分だけの出口で

また自分を愛せるようになるはずだから。

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Beach / Yuri


A marvel millions of years in the making.

Where the womb of Earth chaotically meets the surface.

Under a clear blue sky, an expanse of bliss - 

But beneath gray rolling clouds, an endless enigma.

The easiest world to get lost in

is one where everything can be found.


One can only build a sand castle where the sand is wet.

But where the sand is wet, the tide comes.

Will it gently lick at your foundations until you give in?

Or will a sudden wave send you crashing down in the blink of an eye?

Either way the outcome is the same.

Yet we still build sand castles.


I stand where the foam wraps around my ankles.

Where my toes squish into the sand.

The salty air is therapeutic.

The breeze is gentle, yet powerful.

I sink my toes into the ultimate boundary line, tempted by the foamy tendrils.

Turn back, and I abandon my peace to erode at the shore.

Drift forward, and I return to Earth forevermore.

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砂浜

 

気の遠くなるような遠い昔から。

大地の内と外が混ざり続けている場所。

青空の下、喜びが満ち溢れーー

灰色の雲が落とすのは、解けない暗号。

すぐに道を見失ってしまう世界では、

全てを見つけることだってできるはず。

 

お城が作れるのは砂の湿ったところ。

でもそれは潮の来るところ。

諦めるまで少しずつ、優しく壊してくれる?

それとも瞬きしている間に一気に奪ってしまう?

どちらだって結果は同じ。

それでも人は砂のお城を作るのをやめないの。

 

浜辺に立つ私の足は泡に濡れて。

足先が砂に沈んでいく。

心地良い潮の香り。

吹き付ける潮風は優しく、力強い。

絡みつく泡をもっと感じたくて、私はどこまでも砂を踏

みしめる。

我に返って、砂浜を荒らす遊びをやめたら。

前を向いて、私は陸に戻る。永遠に。

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ナツキのユリへの慈愛がすごすぎて怖い

 

ナツキを本当に愛おしく思うのは、自らが絶望に追い詰められた環境に置かれていても、他者のことを本当によく見ていて、あまつさえ救おうとすらする優しさを持っているところです。(感想)

このゲームで唯一、他人に向ける感情が歪んでいないのはナツキだけだと思う。

他の3人との明らかな差は、モニカ、サヨリ、ユリは、他者に向ける表面的なコミュニケーションに一見問題は無く(ユリが多少自分を卑下しすぎるくらいで、それも相手を不快にさせる意図はないし、トラブルを引き起こすものではない)健全に見える、

けれどこの3人は、水面下では、歪んだ感情や狂気、精神障害を抱えている。二層構造で、それが少しずつ表層に見え隠れしていく。


ナツキは逆で、表面的なコミュニケーションが問題だらけ、相手を不快にさせるようなことも言うし、度々ケンカの原因を作り出す。

けれど、水面下の感情は歪んでおらず、主人公への感情も、部員への感情も、そして恐らく「パパ」への感情も、ナツキは本心ではみんなのことをまっすぐに好いていて、心配もするし、仲良くしたいと思っている。

ナツキの二層構造、というか三層構造に思えるんですが、それはみんなと逆だ

 

ナツキはうまく愛されてこなかったはずなのに、人を愛そうと努力できる。

彼女のことをどうにか救いたいし、幸せになってほしい。してあげたいと思う、けれど多分ナツキの救済は最初から用意されていない。

友達が「報われなかったり、不遇なキャラを好きになってしまう」と言ってモニカに夢中になっている。めちゃくちゃわかる。

モニカのルートは最初から用意されていない。ナツキもそうなんじゃないかと思う。ナツキを救える方法、ナツキと幸せになれる未来がこの設定上全く想像できないから。

自分ではどうしようもならない大きな力に支配され、苛まれている、抜け出すことも逃げ出すこともできない。モニカとナツキの境遇は似ている。

自分の努力に限界がある、モニカはゲームの外には出られないし、ナツキは父親の支配下から逃れられない。

ナツキの置かれている環境に、モニカが干渉しているのかは定かではないけれども。

そしてナツキは死なない。自分が何をしようが、しまいが。死なないということは、救えないということだと思う。

ただナツキにはどうしても幸せになってほしい。

ナツキがシアワセに辿り着くにはどうしたらいいのか真剣に考えたんですが、まあ父親を殺すしかない。父親を殺して隠して今の環境から抜け出すしかない。その共犯者はユリかもしれない。ただ、ユリはナイフを集めたり、自分の身体を傷つけたりすることは好きだけども、他者をナイフで刺すことには気が進まないというか、やりたがらないと思うので、

想像できうるのは「ユリのナイフでナツキが父親を殺す」という構図かなと思う(百合すぎてすごいな)

ユリの手助けでナツキが、自分の運命を変える、自分の境遇を覆す、自分の人生を切り拓く、惨めさから抜け出す、泥まみれの、地べたに這い蹲って、もがいて、支配されて、搾取されて、見下されて、蔑ろにされて、他人の目を常に気にして、怯えて、傷つけられる毎日に、終止符を打つ。

(ナツキの詩にはピリオドが効果的に使われているし)

そんなことがもしあったらすごいなと思う。そしてナツキとユリは海へ行って、砂浜で初めて心から笑い合う。自分たちの抱える問題はまだ全然解決してなんかないんですけど。

ユリは、とにかく理解者が欲しい人だと思う。自傷癖に関しては自分がおかしいことも、狂ってることもわかってるけど衝動が止められない。気持ち悪がられるってわかってる。誰も私を理解してくれない。

ナツキが父親を殺して、もしもその共犯者になったら、ユリにとってはそれはすごい救済かもしれない。

「私やユリのような狂人には不釣り合い」これはナツキが言った(言わされた)言葉だけれど、

2人とも狂ってるからこそ、お互いの穴を埋められるかもしれない。苦痛を癒せるかもしれない。救えるかもしれない。背中合わせで支え合って、立てるかもしれない。すべてが正反対で、よく似てる2人だから。

しかしわたしがあなたの砂浜になる。というのはすごい言葉だな  百合すぎてすごい  心と心の交流

 

 

 

morning によせて

前記事の文章を書いてから随分経ちますが、未だに森脇監督のファルルへの溺愛ぶりを見ていると、ファルルにもチームを組ませてあげたいという親心は過分にあっただろうし、
そうするにあたって、過去と現在の彼女、両方を肯定するキャラクターを生み、チーム結成へ導いたことは、今考えてもさもありなんという感じがします。
ファルルという複雑な存在とその周囲を描く時に、「過去の彼女に憧れ、賛美して肯定する存在」は必要不可欠だったと思っていて、
それはなぜかといえばファルルが”めざめ”たことを皆が喜んだ、「喜んでしまった」から。

紫京院ひびきは、ファルルの”めざめ”を皆が喜んでしまったことへの補完的役割を持って(勿論それだけではない)生まれたというのは的外れでないと思うけれども、
じゃあ緑風ふわりはというと、彼女の特殊で異質なところは、これはもう明確に、ファルルに憧れていない(あるいは、意識的に憧れないようにしている)というところであって、
めざめたファルルを肯定する人たちは緑風ふわりが現れる前から既に大勢いた、その中で緑風ふわりがファルルに対して与えられた(齎した)役割は何だったのかと考えると、多分これは絶対に、「憧れという名の隔絶を含まない肯定」つまり、究極的な「わたしとあなたはおなじ、ひとつの命」という目線だと思うんですよね。

紫京院ひびきはファルルに憧れて、ボーカルドール化することで彼女のような存在になろうとした、理想に近づこうとしましたが、近づこうとするということは距離があるということで、
紫京院ひびきはプリンセスファルルのことを自分と同じ生き物とは思っていなかったし、到底思えなかっただろうと察します。
プリンセスファルルの美しさ、完璧さは、ボーカルドールだから。
一転、緑風ふわりの視点では、今のファルルの美しさや尊さは、ボーカルドールという器に宿っているものではなくて、彼女の心や魂が宿し、放つ光であり、つまりファルルがファルルだから、眩しい。
これはそもそも正しい方なんてない、というか、どちらもの考えがファルルのためには必要だったんだと思います。

「目の前にいる、今のあなたしか知らず、今のあなただけを好いて、今のあなたのみを認めてチームを結成する」 
他のチーム、他のアイドルであれば、ほぼ何の問題もなく当たり前に通用する、してきた普遍的な進行が、
ことファルルという存在、彼女の境遇に対してだけは、冒涜にすらなり得るということを森脇監督か、脚本のどなたかか、とにかく誰かが理解していたから、ファルルには双方からの肯定が必要であって、それがきちんと与えられたんじゃないかと思います。

紫京院ひびきは憧憬の中で「ボーカルドールとして」過去のファルルを愛し、
緑風ふわりは隔たりのない平等の上で「自分とおなじ存在」として今のファルルを愛した、
そしてトリコロールが結成された今、これからの、未来のファルルを愛するのはひびきとふわりの二人という構図がめちゃくちゃ強いし、大好きだと改めて思います。


「自由・平等・博愛」についてもっと考えたらスッキリできるような気がする

補足:morningという曲に絡めて書いたことなので、ファルルに焦点をあてていますが、ひびきとふわりがファルルのためだけに生み出されただとか、二人の存在理由が全てそれであるとかではなく、
あくまで、他者との関係には不可欠である、誰かに対する誰かの役割の可能性を書いているだけで、全てがファルルに対する祝福であるというような意味ではありません。たとえそうであってもいいとは思いますが。
逆にふわりにとってのファルルが意味したところ、ひびきにとってのファルルが意味したところも勿論ありますし、
生きている存在同士の、相互の関係において、片方だけが一方的に単一の役割を相手に対して背負うなんてことは、当然絶対にあり得ないので

morning

春日(@elorap)さんに2018年3月に送ったラブレターの内容、これに続く一通前のものがあったはずなのですが、焼失して現存してないため割愛します 
キモいのですが、わかるうちに記録として
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moningという曲が作られた当初は、時期的にも「甘い、苦い」「金と銀が呼ぶわ」はおねむ→めざめのことであり、「おはよう 最初のハート 息吹き 芽吹いた世界」もらぁらさんとのことと考えた方が自然であると、他の方の意見を見て思い、
ひびきとふわりは逆に、この曲で着目されたファルルの金と銀のヘッドホンの色から着想を得て生まれたキャラクターであるのではないか、と考えた方が合点がいくなと思いました。
おねむのファルルがつけている銀のヘッドホン、嘘とまやかしの世界で育ちボーカルドールになることを夢見た紫京院ひびき、
めざめのファルルがつけている金のヘッドホン、パルプスの大自然で育ち誰よりも「命の香り」を知る緑風ふわり、
ファルルの存在において銀と金は、静と動、(感情における)死と生の象徴である色で、ひびきとふわりは余りにもそれに基づいた性質を持つキャラクターであると感じます。
111話、ひびきとファルルの0-week-oldで、ボーカルドール化したひびきと共にステージに立ったのが、”おねむのファルル”であったように(CC後はめざめですが)
テレビっ子の紫京院ひびきが最初に目にして、憧れたのはきっとおねむのファルルです。
プリパラの作中、筐体では金のひびき像と銀のひびき像(と、木彫りのひびき像)が存在しますが、
先述のステージのMDフローズンキャッスルミラージュで、氷の城と共におねむのファルルの胸に抱かれるのは「銀のひびき像」です。
(筐体のコインショッピングで入手でし、マイキャラ画面に飾ることができるのは金のひびき像です。不思議の泉のオーケストラにおける金?銀?という問いかけ、木彫りのひびき像に関しても考える余地がありそうなのですがうまくまとまりませんので割愛します)
それと、余談なうえ多くの方が言われていることだと思いますが、フローズンキャッスルミラージュの台詞「夢を信じて」は、女の子たちの夢見る気持ちから生まれたファルルのこと、つまり「私(ファルル)を信じて」という意味が含まれていると思っていて、
それを、ひびきのボーカルドール化が叶わなかったあとの、あのステージで言ったこと、銀のひびき像を確かにファルルが胸に抱いたということは、
そのまま「あなたの夢を信じて」という意味であり、「あなたが憧れた私を信じて」という意味でもあると思いました。
あのMDに対して「ひびき様の夢は砕かれたのに夢を信じてなんて皮肉だ、残酷だ」と言っている人もいましたが、
自分はあのステージ(と、プリパズのボカド紫京院イベント)を見て、紫京院ひびきの夢は潰されたわけでも失われたわけでもなく、その夢を持つこと自体を否定されたわけでもなく、
あらゆる理由で叶うことはなかったけれども、叶わないからといって捨てなければいけないわけではなく、
これからも消えることなくファルルの胸の中で、守られながら永遠に咲き続ける氷漬けの花なのだと思えました。(「あなたは僕の永遠の憧れです」という台詞に完全に説得力が生まれています)
 
話が逸れますが、お隣である女児アニメの曲の歌詞、そして最終回でも引用された言葉に「夢は見るものじゃない、叶えるものだよ」というものがありました。けれど、そういった強いフレーズには当然「じゃあ、叶わなかった夢はどうなるの?」という疑問が出てきます。
2年続いた放送の中で”主人公の”夢は全て叶いましたが、主人公以外の子の「叶わなかった夢」は幾つも出てきました。
その子たちは、もがきながらも「別の夢」を見つけるか、
もしくは夢に対してさほど執着も見せず最初から無かったことになっているか、が多数で、また作中の教師の台詞などからも「叶わなかった夢はそもそも夢ではない」「叶わない夢は諦めて他の道を探したほうが良い」と終始言われているような気持ちでした。
そもそも当然比べられるものではないのですが、その点において森脇監督は「本当に”み〜んなトモダチ”なのか?」「叶わなかった夢はどうなるのか?」という、当然出てくる疑問に関する答えも丁寧にメッセージとして発信してくれていて、
紫京院ひびきの変わらない姿勢や、ファルルとのステージは「叶わなかった夢も捨てなくていい大切な夢」というプリパラの描く肯定、答えであると受け取れました。この答えには、きっと多くの人が救われたような気持ちになったんじゃないかと思います。
 
話が逸れすぎて急カーブ続きの逆走していますが、そういったこともあって、
銀はおねむのファルルを象徴する色であり、ボーカルドールに憧れるひびきの色、
金はめざめのファルルを象徴する色であり、ボーカルドールに憧れることのないふわりの色。
正反対であるふわりとひびきは、最初からおねむ・めざめ双方のファルルを肯定し、寄り添うために生まれたキャラクターなんじゃないかなと思いました。そう思うと、二期で2人がファルルに対してとった行動、言った言葉が正反対であることもなんとなく納得がいくような気がします。
それらを経てトリコロールという形で今2人がファルルの側にいる、そのことを本当に嬉しく思います。
 
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ゆめかわいい女の子

2017年CD発売当時に書いた文章のためその後の展開などとの齟齬がありますが備忘録として

 

 

夢川ゆいさんのソロ曲が入ったアイドルタイムプリパラ1作目のCDが発売になり、fullもあまりに良すぎて泣けました。

 

プリパラという作品を通して描かれてきた

女の子の「憧れ」「魔法」「希望」「願い」

そして今期のテーマ「時間」と「夢」

夢川ゆいさんのアイドルタイムの始まりにこれほど相応しい歌はないし、プリパラ製作陣と音楽担当はつくづく天才なのかと感動しました。

 

今春からスタートしたプリパラの新シリーズ・アイドルタイムプリパラは舞台をパラ宿からパパラ宿に移し、

新キャラクター・夢川ゆいさんが、ここまでのシリーズ通しての主人公・真中らぁらさんとダブルヒロインという形で、

「女の子のアイドル」という概念が存在しないパパラ宿にプリパラを新設して、盛り上げて行くために奮闘する物語ですが

夢川ゆいさんのキービジュアルが公開された時、正直そんなに好きにはならなそうだなと思っていました。

好みの話になりますが、とにかく「思ったことをはっきり言う」「芯の強い」「人前で弱さを見せない」子が

自分の意志の強さや理想の高さゆえに思い悩んだり(悩まなかったり)しながら、時に奔放に、まっすぐ進んで行く姿が好きで、

南みれぃさん、ドロシー、紫京院ひびきさん (他作品で言えば三ノ輪ヒカリさん、星井美希さん、一ノ瀬志希さん) が特に好きなのも主にはそういう理由からであり

要するに、広義で「強い」子、そういう子の信念のようなものが、

他者の判断に依存しない「かわいさ」、誰にも侵されない「かわいさ」を持っている姿が何よりも美しいと感じていたので、

どこか曖昧で、判然としない「ゆめかわいい女の子」はなんとなく合わないかなと予感していたのです。

 

 

夢川ゆいさんの口癖でもある「ゆめかわ」=夢かわいい は、ふわふわしていてパステルカラーで、ピンクや淡い水色、フリルで甘くて女の子らしい、記号的かわいさの王道。

見るからにかわいい物を好む彼女は、

「ふわふわ」で所謂「女の子っぽい」タイプ(それこそ花園きららさんのような)なんだろうなと思っていました。

けれど、いざ新シリーズが始まってみると、夢川ゆいさんは「ふわふわ」でもなければ、こと「女の子っぽい」わけでもなく、

全然じっとしてないし、やかましいし、人の話をあんまり聞かない、悩まない、諦めが悪い、図々しい、ちゃっかりしている、思ったことを即言う、即やる。とにかく突っ走る。

彼女は自分の「夢」に対してどこまでも一生懸命で、盲目的だった。

 

途中途中に挟まれる「もっと皆にプリパラに来てほしい」「女の子のアイドルも楽しいんだって伝えたい」という言葉も勿論嘘ではないのだろうけど、

虹色にのさんをプリパラに誘った時も、「2人以上の参加がないとアイドルグランプリが開催されない」という問題が理由の多くを占めていたのではないかと思う。

虹色にのさんがどれだけ迷惑や困惑の色を濃くしても、夢川ゆいさんはとにかくしつこかった。というか、迷惑そうにしていることに気づいていない気色すらあった。(「勧誘」で丸3話使っていますからね)

10回以上断られても、あれほど粘れたのは、断られてもまったくひるまずに向かい続けたのは、根底にあったのが「自分の夢」だったからだと思う。

結果的に、虹色にのさんは「夢川ゆいがそこまでの情熱を捧げる」アイドルというものに対して興味を持ち、ケガをしても諦めない(というか、問題にも思っていない)夢川ゆいさんの姿に感化されて、アイドルデビューを果たした。

夢川ゆいさんの諦めの悪さ、へこたれなさ、の根底にはまずもって「壁を壁とも思っていない」「困難を困難と思っていない」「問題を問題と思っていない」という意識があって、

その源は、彼女の夢に対する盲目的と言ってもいいほどの思いの大きさだと思う。

彼女は自分の夢に対してどこまでも一生懸命で、盲目的だから、それ以外のことは気にも留めていない。

だから、誰も傷つけないし、誰の言葉にも傷つかない。

妄想癖があって、すぐに自分の夢の世界に入ってしまう(ユメってしまう)夢川ゆいさんの原動力は「自分の夢」でしかなく、実際のところ、他者への興味が限りなく薄いのだと思う。

 

夢か現か嘘か本当か
誰もわからない

彼女自身 以外には。

 

名実ともにパパラ宿のアイドル第1号である夢川ゆいさんが、今後、自信を失ったり、へこたれることが…想像できないけれど…もしもあったとしても、

おそらくそれは、他の誰かと比べたり、誰かに負けたりしたことに起因するのではなく、

あくまで彼女自身の中で起きた出来事によってなのではないかと思う。(わからないけど)

初見で苦手そうだなと感じた女の子は、見た目のストレートなかわいらしさに反(?)して、

文字通り夢の中にいるように、夢中で、強くてまっすぐだった。

 

 

第1話以前から、彼女の置かれていた環境は、

“プリパラが存在しない”だけに留まらず、「女の子はアイドルをしないもの」「女の子アイドルなんてありえない」とされてきたパパラ宿という街で、

その中でたったひとり、プリパラに憧れて、アイドルを夢見てきた女の子、夢川ゆいさんは孤独だったと思う。

本人はそんなことまったく気にしていなかったかもしれないけど、周りに1人も理解者がいない環境で、好きを否定される状況で夢を見続けるのは簡単ではなかったかもしれない。

そんな中でも、彼女はプリパラもアイドルも諦めなかった。妄想の世界でもひとりで夢を見続けた。

その気持ちの強さ、憧れの強さが、第1話目の彼女のステージに現れていて、何度見返してもかなり泣いてしまう。 

 

 

女の子が憧れてきた魔法

 


冒頭の歌詞、「女の子が」と言ってるけど  作中では  イコールで  “わたし”  夢川ゆいさん本人のことでしかない。

だって、パパラ宿でプリパラに憧れてきた女の子なんか、彼女以外にひとりもいなかったのだから。

最初から“わたし”の歌だと言っていて、ここで、主人公に自己投影している子供や大人にとっても“わたし”の歌になる。(やり方がうますぎる)

 

アイドルタイムプリパラの第1話は、はじまりの話であると同時に、

プリパラにずっと憧れてきた夢川ゆいさんの思いが結実する、まさにその瞬間でもある。

 

彼女の初ステージは、3DCGのクオリティも合まって、もはやただの説得力の塊というか、

「夢川ゆい」という女の子がどういう女の子なのか、嫌でもわかってしまうような強さのあるステージだったと思う。

 

止まらないよ!

止まれないよ!


夢川ゆいさんの夢、「ゆめかわいいアイドルになること」、それは「なりたい自分になること」で、

夢川ゆいさんが今まで決して捨てずに持ってきた「なりたい自分」に向かうまっすぐさ、「なりたい自分」が放つ眩しさ、に周りが感化されて変わっていく、という構図は、

本人が無意識であることも含めて、星宮いちごさんのアイドル活動にかなり近いものがあると個人的には感じるし、

今はまだ自分の中で完結している彼女の夢が、これからどういうふうに変わっていくのか、はたまた変わらないのか、

どちらにしても夢川ゆいさんが、自分の気持ちにまっすぐでいる限り、永遠に彼女のことを応援し続けたいと思う。

こんなゴタクや理屈を並べなくても、存在だけでも単純にチャーミングで、とてもかわいい女の子なんですけどね…

 

形のないモノこそいつだって

ほしいよ!

 

と、夢川ゆいさんが歌うことの意味があまりにもすごすぎる(語彙を消失) し、

ここで語られる「形のないモノ」それこそが、

この文の冒頭で書いた、プリパラという作品を通して描かれてきたもののすべてなんじゃないかな、と思います。

プリパラ見てない人でも、ぜひアイドルタイムプリパラから見てほしいです