ゆめかわいい女の子

2017年CD発売当時に書いた文章のためその後の展開などとの齟齬がありますが備忘録として

 

 

夢川ゆいさんのソロ曲が入ったアイドルタイムプリパラ1作目のCDが発売になり、fullもあまりに良すぎて泣けました。

 

プリパラという作品を通して描かれてきた

女の子の「憧れ」「魔法」「希望」「願い」

そして今期のテーマ「時間」と「夢」

夢川ゆいさんのアイドルタイムの始まりにこれほど相応しい歌はないし、プリパラ製作陣と音楽担当はつくづく天才なのかと感動しました。

 

今春からスタートしたプリパラの新シリーズ・アイドルタイムプリパラは舞台をパラ宿からパパラ宿に移し、

新キャラクター・夢川ゆいさんが、ここまでのシリーズ通しての主人公・真中らぁらさんとダブルヒロインという形で、

「女の子のアイドル」という概念が存在しないパパラ宿にプリパラを新設して、盛り上げて行くために奮闘する物語ですが

夢川ゆいさんのキービジュアルが公開された時、正直そんなに好きにはならなそうだなと思っていました。

好みの話になりますが、とにかく「思ったことをはっきり言う」「芯の強い」「人前で弱さを見せない」子が

自分の意志の強さや理想の高さゆえに思い悩んだり(悩まなかったり)しながら、時に奔放に、まっすぐ進んで行く姿が好きで、

南みれぃさん、ドロシー、紫京院ひびきさん (他作品で言えば三ノ輪ヒカリさん、星井美希さん、一ノ瀬志希さん) が特に好きなのも主にはそういう理由からであり

要するに、広義で「強い」子、そういう子の信念のようなものが、

他者の判断に依存しない「かわいさ」、誰にも侵されない「かわいさ」を持っている姿が何よりも美しいと感じていたので、

どこか曖昧で、判然としない「ゆめかわいい女の子」はなんとなく合わないかなと予感していたのです。

 

 

夢川ゆいさんの口癖でもある「ゆめかわ」=夢かわいい は、ふわふわしていてパステルカラーで、ピンクや淡い水色、フリルで甘くて女の子らしい、記号的かわいさの王道。

見るからにかわいい物を好む彼女は、

「ふわふわ」で所謂「女の子っぽい」タイプ(それこそ花園きららさんのような)なんだろうなと思っていました。

けれど、いざ新シリーズが始まってみると、夢川ゆいさんは「ふわふわ」でもなければ、こと「女の子っぽい」わけでもなく、

全然じっとしてないし、やかましいし、人の話をあんまり聞かない、悩まない、諦めが悪い、図々しい、ちゃっかりしている、思ったことを即言う、即やる。とにかく突っ走る。

彼女は自分の「夢」に対してどこまでも一生懸命で、盲目的だった。

 

途中途中に挟まれる「もっと皆にプリパラに来てほしい」「女の子のアイドルも楽しいんだって伝えたい」という言葉も勿論嘘ではないのだろうけど、

虹色にのさんをプリパラに誘った時も、「2人以上の参加がないとアイドルグランプリが開催されない」という問題が理由の多くを占めていたのではないかと思う。

虹色にのさんがどれだけ迷惑や困惑の色を濃くしても、夢川ゆいさんはとにかくしつこかった。というか、迷惑そうにしていることに気づいていない気色すらあった。(「勧誘」で丸3話使っていますからね)

10回以上断られても、あれほど粘れたのは、断られてもまったくひるまずに向かい続けたのは、根底にあったのが「自分の夢」だったからだと思う。

結果的に、虹色にのさんは「夢川ゆいがそこまでの情熱を捧げる」アイドルというものに対して興味を持ち、ケガをしても諦めない(というか、問題にも思っていない)夢川ゆいさんの姿に感化されて、アイドルデビューを果たした。

夢川ゆいさんの諦めの悪さ、へこたれなさ、の根底にはまずもって「壁を壁とも思っていない」「困難を困難と思っていない」「問題を問題と思っていない」という意識があって、

その源は、彼女の夢に対する盲目的と言ってもいいほどの思いの大きさだと思う。

彼女は自分の夢に対してどこまでも一生懸命で、盲目的だから、それ以外のことは気にも留めていない。

だから、誰も傷つけないし、誰の言葉にも傷つかない。

妄想癖があって、すぐに自分の夢の世界に入ってしまう(ユメってしまう)夢川ゆいさんの原動力は「自分の夢」でしかなく、実際のところ、他者への興味が限りなく薄いのだと思う。

 

夢か現か嘘か本当か
誰もわからない

彼女自身 以外には。

 

名実ともにパパラ宿のアイドル第1号である夢川ゆいさんが、今後、自信を失ったり、へこたれることが…想像できないけれど…もしもあったとしても、

おそらくそれは、他の誰かと比べたり、誰かに負けたりしたことに起因するのではなく、

あくまで彼女自身の中で起きた出来事によってなのではないかと思う。(わからないけど)

初見で苦手そうだなと感じた女の子は、見た目のストレートなかわいらしさに反(?)して、

文字通り夢の中にいるように、夢中で、強くてまっすぐだった。

 

 

第1話以前から、彼女の置かれていた環境は、

“プリパラが存在しない”だけに留まらず、「女の子はアイドルをしないもの」「女の子アイドルなんてありえない」とされてきたパパラ宿という街で、

その中でたったひとり、プリパラに憧れて、アイドルを夢見てきた女の子、夢川ゆいさんは孤独だったと思う。

本人はそんなことまったく気にしていなかったかもしれないけど、周りに1人も理解者がいない環境で、好きを否定される状況で夢を見続けるのは簡単ではなかったかもしれない。

そんな中でも、彼女はプリパラもアイドルも諦めなかった。妄想の世界でもひとりで夢を見続けた。

その気持ちの強さ、憧れの強さが、第1話目の彼女のステージに現れていて、何度見返してもかなり泣いてしまう。 

 

 

女の子が憧れてきた魔法

 


冒頭の歌詞、「女の子が」と言ってるけど  作中では  イコールで  “わたし”  夢川ゆいさん本人のことでしかない。

だって、パパラ宿でプリパラに憧れてきた女の子なんか、彼女以外にひとりもいなかったのだから。

最初から“わたし”の歌だと言っていて、ここで、主人公に自己投影している子供や大人にとっても“わたし”の歌になる。(やり方がうますぎる)

 

アイドルタイムプリパラの第1話は、はじまりの話であると同時に、

プリパラにずっと憧れてきた夢川ゆいさんの思いが結実する、まさにその瞬間でもある。

 

彼女の初ステージは、3DCGのクオリティも合まって、もはやただの説得力の塊というか、

「夢川ゆい」という女の子がどういう女の子なのか、嫌でもわかってしまうような強さのあるステージだったと思う。

 

止まらないよ!

止まれないよ!


夢川ゆいさんの夢、「ゆめかわいいアイドルになること」、それは「なりたい自分になること」で、

夢川ゆいさんが今まで決して捨てずに持ってきた「なりたい自分」に向かうまっすぐさ、「なりたい自分」が放つ眩しさ、に周りが感化されて変わっていく、という構図は、

本人が無意識であることも含めて、星宮いちごさんのアイドル活動にかなり近いものがあると個人的には感じるし、

今はまだ自分の中で完結している彼女の夢が、これからどういうふうに変わっていくのか、はたまた変わらないのか、

どちらにしても夢川ゆいさんが、自分の気持ちにまっすぐでいる限り、永遠に彼女のことを応援し続けたいと思う。

こんなゴタクや理屈を並べなくても、存在だけでも単純にチャーミングで、とてもかわいい女の子なんですけどね…

 

形のないモノこそいつだって

ほしいよ!

 

と、夢川ゆいさんが歌うことの意味があまりにもすごすぎる(語彙を消失) し、

ここで語られる「形のないモノ」それこそが、

この文の冒頭で書いた、プリパラという作品を通して描かれてきたもののすべてなんじゃないかな、と思います。

プリパラ見てない人でも、ぜひアイドルタイムプリパラから見てほしいです